わっちコレクション30 – 「狼と香辛料 文倉十画集」

2011-11-27   treby   わっちコレクション  , , , このエントリーをはてなブックマークに追加

最後です。ある意味写真はっつけていくだけの作業だったけど長かったーよ。

狼と香辛料 文倉十画集。アスキー・メディアワークス。2011年7月発売。
Amazon.co.jp:狼と香辛料―文倉十画集

やっぱ最後はこれだよね、と残しておいた今夏発売の画集。文倉先生のわっち(描き下ろし含む)が全部載っており、一冊でお腹一杯になれる素敵な作品です。わっちグッズが私の手からどんどん離れていっても、おそらくこれだけは最後まで手元に残しておくだろうと思います。そのくらいよくできています。わっちを偶像崇拝するのならば、これ一冊でほとんど事足りるでしょう。

『狼と香辛料』が私に残した影響

文倉先生の絵っていいですよね。私ももちろん好きです。追っかけをするくらいガッツリ好きだという方には敵わないのでしょうが、

心なしかファンタジーかつ基本まったりとした空気感の作品が多い気がします。

書店で文倉絵を見かけたらとりあえず買ってみたり、

桐乃のトレカ。財布に仕込んでいます。

可愛いはずのない妹を携帯していたりするくらいには好きです。

あ、あと文倉絵といえば、ずっと前から本田透先生の本が気になっているんですが、持ち合わせがなかったり見つけられなかったり何だかんだで入手できてなかったり。ちなみに本田先生の『電波男』は名著なので読んでない人は読むように。少なくとも6年前の私はこの本によって救われた気がしました。私が同人活動を始める前の話です。

総括

というわけでいかがでしたでしょう、30もの記事に及ぶ「わっちコレクション」シリーズ。「へぇ、こんなにたくさんあったんだ」と感心された方も「オレの方が沢山持ってるし」と思われた方も楽しんでいただけたなら嬉しいです。

最後にちょろちょろっとこのシリーズを始めたきっかけについて書いてみたいと思います。長いですので、時間があるときにお読みくださいませ。

最初の記事でも述べました通り、自宅の一角にはわっちブースがあります。

箱みたいのがそれです。

私が『狼と香辛料』に出合ったのが2007年の夏。ほどなくして「私はわっちを裏切らない。それがわっちが私を裏切らない唯一の証左だ」というベタベタな宣言をもって、私はわっちに尽くし始めました。それから数年間、私に宿る愛とコレクター魂で集めたものが上の6つのボックスに眠っています。

しかし悲しいかな、人の気持ちは変わるもの。いつしか当初の熱い想いは色褪せ、「わっちを好きだ」という気持ちは単なる記号へと変化していきました。いつから、という明確な時期は分かりません。嫌いになったわけでもありません。ただ、寄り添い始めの頃の湧き上がるようなトキメキがなくなってしまったのです。

そうなると、だんだんと「わっちわっち」と言い続ける自分に疑問を抱き始めるわけです。「わっちわっち」言い続けることだけならできるでしょう。が、それはもはや作業でしかありません。そこに気持ちがこもっていなければ、やってることは機械(bot)と同じです。

そんな中、『狼と香辛料』の原作が終了しました。Episodeのオチは素敵ですし間違いなくハッピーエンドなのですが、読了後の私の頭をふと横切ったのはあるコピペでした。

朝起きたらとなりでルイズが寝ていた。
俺は死ぬほど嬉しかった。何せ夢にまで見たルイズだ。
童貞の俺にもついに彼女が出来て幸せに暮らしていける。
そしてマイホームを買って子供をつくって毎日幸せな生活をする。
そんなことを一瞬にして考えた。

でも、ルイズは「サイトはどこ?サイトどこにいるの?」
って言うんだよ。俺のことは見向きもせずに。
そのとき分かったんだ。ルイズはサイトと幸せになるべきだって。
だから俺は一緒にサイトを探してあげた。
やっぱりルイズの笑顔は俺に向ける笑顔よりサイトに向ける笑顔のほうが可愛い。
俺は二人が幸せになってほしいと願いながら立ち去った。

そんな夢を見た。
起きてとなりをみた。
ルイズの抱き枕があった。
目から涙がこぼれた。

これが契機というわけでもないでしょうが、私は決心しました。『狼と香辛料』がリアルなオワコンとなった今、あの気持ちは良い思い出として、どんどん概念化していく一路だと思うのです。かつて一生懸命集めたグッズも、いつかは手放さないといけなくなる日が来る。その日をただ指をくわえて待っているのが嫌だったから、形として残し、けじめをつけようと考えたのが今年の夏ごろでした。

それから数か月、まずはこうしてブログの記事にしてみた次第です。文章はたどたどしいし、人によってはあざとさすら感じられたかもしれませんが、これが私のけじめのつけ方なのです。

わっちを意識した配色に。

部屋のフロアマットはそこはかとなくわっちを意識して選びました。また、当サークルの同人誌にも脈絡なくわっちが登場しています。今でもその程度にはわっちを慕っています。けじめをつけたからといって私からわっちがすぐになくなるわけではないでしょう。完全になくなることも恐らくありません。

恋をしているうちはいいです。問題はそれが醒めた後なのです。醒めないようにどんどん次の恋を見つける、おそらくそれが合理的です。だから出会いのきっかけとして放映中のアニメを観る。で、仲間と一緒にあのキャラがいい、このキャラがいいと話に花を咲かせる。でもそれってつまるところは「にわか」ということですよね。

私自身、にわか的な楽しみ方を嗜んでおりましたが、ある時ふと思ったのです。「これで後には何が残るんだろう」と。そんな時現れたのがわっちなわけですし、だからわっちに惹かれたのだと分析することもできます。

にわかを否定するつもりはありません。というのも、今も多くの作品に関しては私自身が「にわか」だからです。4年間言及してきた『狼と香辛料』ですら、2006年の1巻発売当初からチェックされている人から見れば私は「にわか」ということになるでしょう。それに当初の気持ちと同じままで延々と想い続けるのが困難なことは、私がわっちに対して身をもって体験しました。

そしてその私の幻想に止めを刺したのが原作者の方とのフェイストゥフェイスの機会でした。あんなに神格化してある種恋焦がれていたのに、いざ対面してみると何も話すことなんてないんですよね。何を言うにしてもおこがましいというか、失礼に値する気がして。これほどもどかしく、悔しいことはありませんでした。このままじゃいかんとも思いました。

ともあれ後にも先にも、私がこんなにもグッズを集めたのは『狼と香辛料』だけでしょう。あるいは未来の私はまた別に、グッズを集めていたりするのでしょうか。その答えはまた、数年後にでも。

ここまで読まれた方には長々と結論のない思索にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

おしまい!